富だけが幸福ではない? アダム・スミス『道徳感情論』に見る「共感」と「真の豊かさ」
「国富論」の著者として、近代経済学の父と称されるアダム・スミス。彼の名は、しばしば市場経済や自由貿易と結びつけられ、「富の追求」といったイメージが先行しがちです。しかし、スミスにはもう一つの主著があります。それが『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』です。
この『道徳感情論』は、『国富論』よりも前に発表され、人間の道徳性や感情、そして幸福について深く掘り下げた哲学書です。ここでは、経済活動を論じた『国富論』とはまた異なる視点から、スミスが考える「真の豊かさ」や幸福について、その核心をやさしく解説していきます。
『道徳感情論』が生まれた背景
アダム・スミスが生きた18世紀は、ヨーロッパで啓蒙思想が隆盛し、理性と科学に基づいた新しい社会秩序や人間観が模索された時代です。スコットランド啓蒙において、スミスはデイヴィッド・ヒュームらと共に、人間の道徳性の根源を探求しました。
当時の道徳哲学には、大きく分けて理性に基づくと考える立場と、感情(情念)に基づくと考える立場がありました。スミスは、人間の道徳性や社会秩序がどのように成り立っているのかを、抽象的な理性だけでなく、私たち誰もが持っている「感情」や「共感」といった具体的な心理に着目して解き明かそうとしました。
幸福を理解するための鍵:共感(Sympathy)
『道徳感情論』の中心的な概念の一つが「共感(Sympathy)」です。ここで言う共感は、単に他人に同情する、かわいそうに思うといった感情だけを指すのではありません。スミスが共感と呼んだのは、他者の感情を自分の内側で想像し、まるで自分のことのように感じようとする、人間の根源的な能力です。
私たちは、目の前で誰かが笑っていれば嬉しくなり、悲しんでいれば辛く感じます。スミスによれば、これは他者の状況や感情を想像し、それによって自分自身の心の中にも同じような感情を引き起こすからです。この共感の働きこそが、私たちが他者と感情を共有し、お互いの状況を理解し、社会的な絆を築く基盤となるとスミスは考えました。
幸福という点から見ると、この共感は非常に重要です。私たちは自分の幸福な状態を他者に共感してもらうことで、その幸福をより強く実感することができます。逆に、不幸な時には他者からの共感を得ることで、心の苦痛を和らげることができます。つまり、スミスにとって、幸福は単に個人的な快楽や満足だけではなく、他者との感情的な繋がりや承認の中で深められるものなのです。
内なる審判:「公平な観察者(Impartial Spectator)」
共感の概念と並んで重要なのが、「公平な観察者(Impartial Spectator)」という考え方です。スミスは、私たちは自分の行動や感情を評価する際に、心の中に「公平な観察者」という存在を想定すると考えました。
これは、特定の誰かではありません。もし第三者が自分の状況を客観的に見ていたとしたら、どのように判断するだろうか?という、自分自身を客観視するための内なる視点です。私たちは、この公平な観察者の視点から、自分の行動が適切であるか、他者から共感を得られる行動であるかを判断し、それに基づいて自分の感情や行動を調整します。
例えば、大きな成功を収めた時、単に自分自身が喜ぶだけでなく、「もし他の人がこの状況を見たら、私の喜びや努力を認めてくれるだろうか?」と考えます。もし公平な観察者が「それは確かに素晴らしい成功であり、正当な喜びである」と判断すると想像できれば、私たちの幸福感はさらに強固なものになります。
逆に、何か不正なことをしてしまった時、たとえ誰にも見られていなくても、内なる公平な観察者はそれを咎めるでしょう。その内なる非難によって、私たちは罪悪感や心の平静の喪失を感じます。スミスにとって、この公平な観察者からの承認を得ること、すなわち自分の行動や感情が客観的に見て適切であるという内なる確信を持つことが、心の平静(トランキリティ)や自己満足、そして幸福に不可欠な要素なのです。
富や名声と幸福の関係
『国富論』で経済活動を論じたスミスですが、『道徳感情論』では富や名声の追求が必ずしも真の幸福に繋がらないことを示唆しています。
私たちは、富や名声を得ることで他者からの羨望や尊敬を得たいと強く願うことがあります。これは、他者からの共感や承認を求める人間の自然な欲望から来ています。確かに、ある程度の富は生活の安定をもたらし、不安を軽減することで幸福に貢献するかもしれません。しかし、スミスは、富が増えること自体がもたらす快楽は、私たちが想像するほど大きなものではないと見ていました。
むしろ、富や名声の追求は、しばしば虚栄心(vanity)に根差しているとスミスは考えました。それは、他者からの表面的な注目や賞賛を求める気持ちです。しかし、そのような外部からの評価は不安定であり、また私たち自身の内面的な状態とは直接関係ありません。
スミスによれば、真の幸福は、富や名声といった外部的な要素よりも、むしろ内面的な状態、すなわち公平な観察者からの承認を得られるような行動(徳のある行動)を取り、心の平静と自己満足を得ることによってもたらされます。他者からの尊敬も重要ですが、それは徳のある行動の結果として自然に得られるべきものであり、尊敬そのものを目的として富や名声を得ようとすることは、誤った幸福の追求であると示唆しているのです。
スミスの幸福論が現代に示唆すること
アダム・スミスの『道徳感情論』における幸福論は、現代社会に生きる私たちにとって多くの示唆を与えてくれます。物質的な豊かさがかつてないほどになり、SNSなどで他者との比較や評価が容易になった現代において、私たちは外部からの承認や表面的な成功に幸福を求めがちです。
しかしスミスは、それらが真の幸福の基盤ではないことを18世紀にすでに喝破していました。真の幸福は、他者との共感に基づいた健全な人間関係、内なる公平な観察者(自分自身の良心や倫理観とも言えるでしょう)に恥じない生き方、そしてそれによって得られる心の平静と自己満足にこそ宿る、とスミスは教えてくれます。
彼の思想は、経済的な成功だけを追い求めるのではなく、人間関係や倫理観といった内面的な「真の豊かさ」がいかに大切であるかを私たちに改めて問いかけているのです。
まとめ
アダム・スミスの『道徳感情論』は、「経済学の父」というイメージからは少し離れた、人間の道徳性や感情、そして幸福に関する深い洞察に満ちた著作です。
- スミスは、人間が持つ「共感」の能力が、他者との感情的な繋がりや社会的な絆の基盤であり、幸福を深める上で重要であると考えました。
- また、心の中に想定する「公平な観察者」からの承認を得ることが、心の平静や自己満足、そして真の幸福に不可欠であると説きました。
- 富や名声といった外部的な要素は、他者からの承認欲求(虚栄心)に繋がりがちであり、必ずしも真の幸福をもたらすものではないと示唆しました。
- スミスが考える真の豊かさ、すなわち幸福は、共感に基づいた人間関係や、内なる公平な観察者に恥じない徳のある行動によって得られる、内面的な心の状態にこそあるのです。
アダム・スミスの幸福論は、物質的な側面だけでなく、人間の感情や社会的な繋がり、そして内面的な満足に焦点を当てることで、幸福の本質について私たちに深く考えさせてくれます。現代の私たちも、彼の思想から、真に価値ある人生とは何か、そしてどのように生きれば豊かな幸福が得られるのかについて、多くの学びを得ることができるでしょう。